『「札響、存続の危機」累積赤字4億余円 破たん、解散も』 今日の毎日新聞1面と3面で大きく報じられました。 主な内容は、札響が4億円強の累積赤字を抱え、以前からの経営の甘さ、人件費増大 で破綻の危機にある事が分かった。というものです。 累積赤字等含めてこれは今に分かった事ではなく道新などでは再三報じられて来たこと ではありますが、文化欄などではなく一面に大きく報じられたという事はさすがに インパクトがあります。
記事は経営の甘さがクローズアップされていますが、オーケストラとは構造的に それ自体で経営が自立できる存在ではなく、これは世界中のほんとんどのオーケ ストラがそうですが、国や自治体からの助成金、民間からの援助に支えられて 成り立っています。記事がその事に全くふれていないのは残念な事です。
また、人件費の大幅な削減が必要と一部の理事の言葉を取り上げていますが、 実際楽員が現在どれだけの収入を得ているのかが報じられていません。これは他の 報道機関では何度も報じられていますが、楽員の給与は道の高校教師より25% ほど低い賃金です。現在37歳の私の給与は手取りで24万円ほどです。 高額な楽器や防音を考えた住居などはもちろん自前ですから、ここから更に大幅に 人件費を削られたら楽員の生活が成り立たないばかりか、優秀な楽員の確保は地方 というデメリットを考え合わせて到底不可能になるでしょう。
経営の甘さは確かに問題ですが、札響の事務局員の人数は8人。これは楽員が札響 の半数の41人の山響と同数です。ちなみに札響より一回り小さい仙台フィルの 事務局員は12人です。数字だけを見ても事務局を一方的に責める事はできない わけです。無理な人件費の削減はこうした悪循環も生むわけです。 本来は理事にこそこうした実情を外に対して訴えていただきたい所ですが。
札響も労使力を合わせて魅力あるオーケストラ作りに真剣に取り組まなくてはならない のは事実です。しかし一方で、やはり自治体の規模の割に街のオーケストラに拠出する 助成金の額が少ないのではないでしょうか? これは市民、道民、自治体が札響をどう位置づけるかということにかかってくる わけです。今日の新聞を見てその議論をやっと始められるのかな、という心境です。
オーケストラピットは狭いです。幅はステージと同じだけありますが奥行きは一番長いところでも5〜6メートル程しかありません。ですからオーケストラの編成も普段より小さくなります。管楽器は一人1パートなので減らし様がありませんが、弦楽器は1st.ヴァイオリンから8−7−6−4−3位の編成になることが多いです。そしてオーケストラピットは暗いです。ステージ上には照明が当りますが、ピットには照明は無いので譜面台に懐中電灯の様な照明が着きます。これを譜面台燈といいます。 ここへはホールの地下から出入りします。ステージの真下は迫り出しなどのためにとっても深い空洞になっていて、ここを「奈落」と呼びます。ステージ裏の階段などには「奈落→」という案内板があったりして、最初これを見た時は「これが奈落の底の奈落か・・・」と感動したものです(笑)。その奈落から階段でオーケストラピットに上がるような構造になっています。 私はこのオーケストラピットで弾くのが大好きです。本来オーケストラというのは劇の伴奏をするために生れたのだそうで、オーケストラとう言葉も最初はオーケストラピットがある場所を差していたのだそうです。ですからピットの仕事はオケ弾き冥利に尽きると言えなくもないわけです。 ピットでは弦楽器の編成が小さい上に低くなってるので音が通りにくく弦楽器はかなり大きな音で弾くことが要求されます。演奏時間が2時間以上に及ぶので譜面は分厚いです。このめくってもめくっても終らない譜面をでかい音で弾き続けるのは疲れますが、スポーツのような爽快感があります(笑)。特にチャイコフスキーの3大バレエは楽曲的にもとても好きです。 札響の場合はバレエの公演は年に3〜4回くらいでしょうか・・。大抵厚生年金会館です。オペラは少なくて1年に1回あるかないか、といったところです。 あ、それと舞台でドライアイス使う時はピットに煙が流れこんでくるんですよね〜。ドライアイスの煙って空気より重いので低い方へ流れるのです。ドライアイスの煙は舞台袖でクドヴィッチ達みたいな裏方さんが出してるんですが、この量が多い時は咳き込んで前が見えなくなる位降ってきます。この煙は嫌がる人も当然ながら多いのですが私はけっこう好きです。なんかお祭りみたいでワクワクします。
これらポピュラー物はモーツァルトやベートーヴェンの様なクラシックの楽曲より価値が低いと見なされることが多いようです。我々オーケストラプレイヤーを含めクラシックの演奏家にはポピュラー物の演奏会を嫌がる人も珍しくはありません。私はポピュラー物の演奏会は純クラシックの演奏会より音楽的にシビアな事を要求されないのでお気楽に楽しんで弾て嫌いではありません。これは手を抜くという意味ではなく、シリアスに演奏するよりも多少お気楽な方がポピュラー系の場合良い結果が得られるからという意味です。 クラシックの演奏会と違いポピュラー物の演奏会には聴衆が集まります。需要が多いならいっそのことポピュラー物の演奏会を沢山増やせば良いようなものですが、ここが難しいところです。価値の話しは置いておいたとしてもクラシックとポピュラーでは質的に全然違いますからポピュラー物ばかりを演奏していたのでは、クラシックの演奏に支障を来すことになるでしょう。やはりポピュラー物はたまに演奏するくらいがちょうど良いのです。 お客さんが沢山集まるというポピュラー物の特性を生かして、アルバイトでやる室内楽の演奏会でもよく取り上げます。そういう場合映画音楽やクリスマスソングのような季節の音楽、ビートルズとかその他いろいろの編曲された楽譜を探すわけですが、良い編曲の楽譜を探すのが実はけっこう大変な作業なのです。弦楽四重奏なら1st.ヴァイオリンがずっと旋律を弾いていて2nd.ヴァイオリンとヴィオラはずっと二分音譜か全音符でチェロは頭打ちばっかり、なんていう”編曲”とは呼べないほどつまらない楽譜があったり、楽器の特性を全然無視してコンピュータで編曲したような譜面も見かけます。こういった質の低い編曲譜面が市場に沢山でまわっているのも”ポピュラー物”は価値が低いと言われてしまう原因のように思います。 それはさておき、どんなジャンルでも一流の仕事をしている人というのはいるわけで、毎年クリスマスに札響を振る南安雄さんはその第一人者と言えると思います。今はキタラ主催になっていますが、キタラが出来るずっと以前から似た演奏会はありました。これが来るとそろそろ仕事納めも近いという気分になります。演目はほとんど南さんの編曲によるクリスマス曲と映画音楽で毎年満席になります。今年は南さんが体調不良を押して登場し、一部代振りの方と交代しながら演奏会を進めました。南さんの直向きな姿勢に皆感動したと思います。私も感動しました。演奏会は失礼ながら”ポピュラー物”とは思えないほど熱っぽい感動的なものになりました。南さんには一日もはやいご回復をお祈りしたいと思います。 下の写真は毎年ヴィオラの三原さんが買ってきてヴィオラパート全部の譜面代に付ける飾り。ステージの照明を明るくしたり暗くしたりするので譜面燈が付いています。今年はチェロの廣狩さんも負けじと買ってきてチェロの譜面にも着きました。来年いらしたかたは是非探してみてください。
当HPのPMFコーナーや私の独り言コーナーなどでもたびたび取り上げているテーマであります。それは「その土地のものでなければその土地の文化とは呼べない。拝舶来主義をやめよう」とまあ、誤解を恐れず言い切ってしまえばそういうことなのですが、文章を書くことにおいては素人であり、また札響は地方で育った文化団体そのものであり、わたしはその楽員という立場では、客観性を維持することは困難ですし、また仮に維持できたとしても説得力を欠けるという事は充分理解できますので、つねづねもどかしい思いをつのらせていました。同じく、演奏会に聴衆を動員するというのも当HPの大きな目的の一つではありますが、あまり露骨にやると商業ページの様になってしまいかえってページの魅力を失い逆効果というジレンマもなきにしもあらずです。 件の三浦氏の文章はそういったわたしの意を尽くせぬ思いがズバッと明解に書かれていて読んでいて実に気持ちのいいものでした。もし「地方文化基本法」なるものが制定されることがあったら(ないと思うけど)その前文に掲げて欲しいと思うほどです。 札響に対するエールと読み取れる部分も多々あります。感謝ですm(__)m。ご本人の了解をいただきましたのでその文章を転載します。 ========================================================================== クラシック音楽の環境を見た場合、ホール、地元楽団、音楽祭の三拍子そろった札幌は恵まれた都市だと思う。音響のよいキタラ・ホールがあり、年間を通じて札幌交響楽団の生演奏で多様な曲目を聴くことができ、夏にはパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)が開催される。 けれども、私には気がかりなことがある。例えば先日、実力派の若手演奏家がキタラ小ホールでリサイタルを行ったが、入場者は極めて少数で、演奏水準に不相応に思えた。公演会場が小さいと前評判まで小さくなってしまうのだろうか。今夏の札響PMF演奏会はプログラムからして好演が十分予想されたが、当日は空席が目立った。対照的に、知名度の高い指揮者と楽団が登場するPMF公演は早々に入場券が売り切れるほどの盛況だ。こうしたことは音楽市場の常で、需要者の好みがすべてだ、ということは私も承知している。しかし、聴衆の集まり方がどこかいびつではないだろうか。 さらに、今春から北大で芸術に関する授業を担当して気になったことがある。私の講義題目が「ショパンとポーランドの詩人たち」だった時、七十人の受講者の多くはピアノ音楽に関心を持っていたが、彼らと話してみるとオーケストラに対する興味は薄かった。アンケートを行ったところ、受講者の81%が「クラシック音楽に興味がある」と答えながら、コンサートに行く回数は「年に一、二回以下」が78%だった。学生の身分だから無理もないが、恵まれた音楽環境の割には少ない。CDなどにおされ、生演奏の価値が失墜しているようで心配だ。 そこで、四つの提案をしたい。 《1》生演奏を聴かずに音楽ソフトを聴き続けるのは、恋愛をせずに恋愛小説を読みふけるようなもの。一期一会の感動を求めて演奏会に出かけよう。 《2》ピアノやバイオリンなどの学習者と指導者は積極的にオーケストラを聴こう。その音楽表現の豊かさに接すれば「ピアノは小さなオーケストラ」という言葉も理解できるはず。室内楽、声楽、現代音楽も固有の魅力がある。 《3》国内より海外、道内より道外の演奏家・楽団が勝ると決めつけるような偏見とブランド崇拝をやめよう。海外著名楽団ならためらわず高い入場券を買うのに、地元楽団の演奏水準を知らない人がいるとすれば不幸だ。 《4》小さなホールでの名演を探そう。総じていえば、自分の耳で“宝”を見いだすことにこそ喜びがあるはずだ。 (みうら・ひろし 北大非常勤講師=芸術論) ==========================================================================
既に先月の時点で道新観光が主催する『札響英国公演同行ツアー』は中止になっていますし、内外の多くのツアーやイベントが中止になっているのはご承知のとおりです。 聴衆が待っているのなら万難を排して行って演奏したい、せっかく与えられたチャンスに札響の演奏を海外の聴衆に聴いてもらい認めてほしい、ひいては札幌の名を世界にアピールしたい、こうした”熱意”は演奏家として当然の事ですし、札響の将来のためにこのツアーがどれだけ大切な事かは皆知っています。またこの公演のために何年もかけて準備してきた裏方たちの努力やお金を寄付をして下さった方たちの期待に報いたいと思う気持ちも切実です。 現在英国に対する外務省の海外危険情報は発出されていませんし、英国の日本大使館や英国側も安全に対しては太鼓判を押していますので、契約に基づく公演を漠然とした不安を理由にキャンセルすることは出来ないのは道理ですし、実際安全なのだと信じています。しかしながら一方で連日の報道を見て英国行きに不安を感じない人はいないはずです。数々のツアーが中止されているのもそうした理由によるものだと思います。 9月11日のテロが起きてからは先の読めない状況に多くの楽員は不安や苛立ちを感じていたと思います。なんとか状態が安定してきたかと思えば10月8日に報復の空爆が始まり、また少し状態が安定してきたかと思えばこんどは11日の新聞に「報復テロは戦争とみなし免責条項により保険金は支払われない」という記事が乗ったり・・。そのたびに事態に翻弄されながらもなんとかクリアして今日の理事長の発表になったのだと想像します。裏方の努力には本当に頭が下がります。 昨今PMFがらみで「札響不要論」が新聞やインターネットなどで論じられたり、 道と市の札響に対する助成金も毎年減額されつづけています。しかしながら札幌や北海道の文化を外に対して象徴するものはそこで生まれ育ったものに他ならないのだというのが私の持論ですしそれが真理だと信じて疑ってません。個人的にはそういう考えの人、もっと増えてほしいです。「不要論」を唱える人たちには100人以上の人間の意志をまとめてここまでできますか?と問いたい所です。 あとは出発から帰国まで何事もなく職務を全う出来るのを祈るばかりです。
当ホームページは開設してもうすぐ4年になろうとしています。非公式ながらネットにおける札響の唯一の窓口と自負して制作に励んできましたが、これで当ページの役割は終わりました。長い間どうもありがとうございました。今月をもって当ページは閉鎖したいとおもいます。・・・というのはウソで公式をはるかに凌駕する非公式をめざして更に精進します(爆) 公式ページと非公式ページはそもそも役割が違います。掲示板やチャットなどは公式ページにはできない芸当ですし(公式ページに掲示板など作ったら2ch状態になるでしょう)、札響ファンを中心としたネットコミュニティーを構築することはむしろ非公式の役目でしょう。更にこれからは楽員の視点でという本来のスタンスを明確にしていけるのではないかと思います。というわけでまだまだ続く「札響非公式ホームページ」をよろしくお願いします。
それから真貝さんの質問は毎日続いて(笑)20日くらいたつと、「JPG画像の圧縮率はどのくらいが適当なの?」、「画像ファイルとhtmlファイルを一つのディレクトリに収納した方がいいっていうのは単にFTP送信ソフトで送信する時便利っていう理由からなの?」などとかなり高度なものになり、これはかなりハマっているな・・、と驚きました。 真貝さんにここまでPCを学習させた原因は”札幌カスタネット協会”(カス協)の存在でした。カス協は真貝さんが半ばシャレで作った(本人談)カスタネットを愛する人のための団体で、最初は札響のパーカッションの人や真貝さんのお弟子さんが中心だった模様なのですが、偶然札響常任指揮者の尾高さんが顧問として入会することになり(このくだりは真貝さんのHP参照)それからというもの、すっかり勢いのついた真貝さんは、PMFで来札していたウイーフィルの首席ティンパニストやフィラデルフィア管の首席ティンパニストも、共演したときにステージにデジカメとカス協の入会申込書を持って出てゲリラ的に入会させ(このくだりも真貝さんのHP参照)、同じくPMFで来札したN響の方々も入会して、札響の団員たちも次々と入会して、”シャレ”ではすまない状況になってきています。 今日はPMFの青少年のためのコンサートでキタラで本番だったのですが、リハーサルが終わってから本番までの間、真貝さんのカスタネット講座が開かれていました。食事を終えて帰ってみるとカチャカチャとカスタネットの音が聞えます。団員のたまり場で真貝さんのカスタネット講座が開かれていました。たまたまその場にいた団員たちは皆入会したようです。皆無言で取り憑かれたようにカスタネットをたたいます。その光景は怪しい新興宗教か世界制服をもくろむ秘密結社の集会のようで無気味でした(^_^;)。 私も仲間に入れてもらってカスタネットの練習しました。薄々気がついてはいたのですが、かなり奥の深い楽器のようです。演奏し方を習っていると、「もっと腕全体の力を抜いて・・」「最初はゆっくりからね」「持ち方とか指の形が大切だから、」・・・などと言われ、「これって俺がいつもチェロのレッスンで言ってることと一緒やんけ!!」とかなり悔しい思い(爆)。カスタネット買おうか真剣に検討中です。(註:普及版でも1万円2千円くらいだそうです) ちなみに私は会員番号24番。役職もあってパソコン相談役・広報副部長です(爆)。 真貝さんのページはこちら キタラのステージ裏でカスタネット練習中の記念写真。左が真貝さん。右はヴァイオリンの橋本幸子さん。まん中が私。 熱心なレッスン風景(^^)。習っているのはヴァイオリンの三原さん。
プロのオーケストラに入団するためにはオーディションを受けて合格するのが条件です。普通の会社の採用試験に当るのがこのオーディションです。日本はもとより世界中のほとんどのオーケストラでこの方法がとられています。受験者が殺到するような場合は書類審査やテープ審査などの事前審査があることもあります。ベルリンフィルみたいな世界の超有名オーケストラなんかはオーディション(ヨーロッパでは コンクールと言うらしい)を受けるためには、そのオーケストラから招待状を貰わなくてはいけないところも多いです。 私も札響に入るためにオーディションを受けました。ほとんどのオケで採用されてる方法なのですが、楽員全員の前で指定されたコンチェルト(協奏曲)の一楽章カデンツァ付きをピアノ伴奏で弾いて、試験の一週間位前に送付されてくるオーケストラスタディーを7〜8曲弾きます。オーケストラスタディー(以下オケスタ)とはオーケストラのパート譜の中から難しい箇所や旋律などの重要な箇所を拾い出したものです。例えばチェロだったらベートーヴェンの「運命」の第2楽章の冒頭と変奏の部分とか、R・シュトラウス の「英雄の生涯」の冒頭から何十小節目まで・・、とか、そういった具合に出題されます。オケスタはどの曲のどの部分が指定されてくるか譜面が送付されてくるまではわかりません。 さてこのオーディション、言うまでもありませんが受験する側は非常に緊張します。指定されたコンチェルトを弾くというシチュエーションは、ほとんどの奏者が大学の入試、試験、人によってはコンクールなどで何度も経験済みですが、採点することを目的に座っている100人近いプロの演奏家の集団の前で人生を賭けて弾くとなると話しは別です。 私が札響のオーディションを受けたのは1993年の8月2日でした。既に数年前からエキストラとして定期演奏会などに呼んでもらっていたので、試験会場も通いなれたいつもの芸術の森にある練習場です。 審査にあたる楽員たちも皆知った顔。しかし今から思うとそれらは緊張を助長する要因に他なりませんでした。知った顔だから採点が甘くなるという事は一切無い、ということはその時既に知っていたのであの時ばかりは皆の顔が鬼に見えました。そういえばこの点オーディションの採点というものは非常にシビアです。採点する楽員たちは皆、己の演奏家としての良心に従って自分の耳だけを頼りに採点しますので、縁故関係もそうですが学歴とか職歴なども一切考慮には入りません。また、経歴が全く当てにならない事もみなよく知っています。 話しは戻って私のオーディションの前日はPMFのピクニックコンサートに札響のエキストラとして出演していました。オーデ ィションの前日くらい仕事を入れない方がいいという思いもあったのですが、家で練習していても緊張するだけだしな、と思いなおし仕事を引き受けました。チェロパートの楽員たちのなにげない「明日がんばれよ」という励ましの言葉も、オーディションを控えた当人に対しては、自閉症の人間に「元気だせよ」と言うくらい罪な台詞になります(笑)。 オーディション当日は快晴で北海道にしては暑い日でした。朝起きて着替えました。スーツを着るのが本当なんでしょうが、着慣れた物のほうがいいと思ってこの頃よく着ていたアロハシャツを着ました。ことここに至ってはジンクスしかありません。朝食は箸を持つのが先か、茶わんを持つのが先か・・、歩きはじめるのは右足が先か左足が先か・・。どれか一つでもジンクスを違えるとオーディションに落ちるような気がしてきます。そういえばこの日の半年くらい前からなにげなく始めた腕たせ伏せも、途中から『一日デモ休ムト札響二入レナイノダ・・・』と妙な強迫観念に駆られて、泥酔して帰ってきても腕立て伏せだけは休まず、私の今までの人生で大胸筋が最も発達した時期を迎えていました(爆)。 家を出てからの記憶は断片的です。控え室で事務局長の諸注意を聞いたことなどがところどころ思い出せます。弾いている最中の記憶はほとんどありませんが、緊張のあまりコンチェルトの最後の方で弓の持ち方を忘れて「ヤバいヤバいヤバい・・・」と焦りながら弾いたことが今でもトラウマになっています。 採点は楽員全員で行われます。これは札響に限らずオーディション形式の採用方式を持っているほとんどのオケの方法なのですが、一人一票の権利を持っていて「可とするものに○を付けよ」という投票用紙が全員に配られます。過半数や3分の2など決められた得票数を得た受験者が合格となります。求人1名に対して複数の合格者が出た場合は原則として得票数の多い者が入団資格を得ます。合格者がない場合は一定の期間を置いて何度でもオーディションをします。他に当該セクションの意見がより多く反映されるように細則を設けている場合もあります。 そんなこんなで札響に入団してからは魔のオーディションもめでたく採点する側にまわることが出来ました。入団間もないころは人のオーディションを聴いていても自分が受験した時の記憶が生々しく蘇えり、手に汗を握っていました。。最近も慣れてきたとはいえオーディションという作業は決して楽なものではないです。受験者は皆必死です。でも全ての団員はそのオーディションを経て入団していますから受験者の気持ちはよく分かっています。多い時は一日に30人以上の演奏を聴くことになるので、聴き終わった頃は疲労で必ず頭痛がしてます。 オーケストラの空席は定年退職者などが出ない限り基本的にできません。人数の少ないパートなどは何十年に一度しかオーディションの機会が巡ってこないわけです。札響のチェロも’創立以来’というメンバーの世代交代がほぼ終わり、途中退職者がでない限り次のオーディションは15年後です。100人近いメンバーのうち仮に一人が欠けても体勢に大きな影響がないのは確かです。でもオーケストラを作っているのはその一人一人なんですね〜〜。そこがオーディションをとっても大切でシビアなものにしているわけです。 『オーディションは水物』っていう言葉があります。とても上手な人でもその時たまたまもっと上手な人がいたらそっちの人が合格します。そういう時はとても残念で気の毒で、「もし全員不合格だった前回のオーディション受けてればあの人入団してたのに・・・」ってなことも当然あるわけです。ここが難しい。ホントに難しい・・・・。
この原稿を書いているのは2001年4月13日です。今日はニセコ町で「ほくでんファミリーコンサート」の演奏会がありました。このコンサートは手元の資料によると、昭和48年に第1回があり以来ほぼ月に1回のペースで現在まで続いています。北海道電力が主催、北海道放送が提供、演奏は札幌交響楽団の無料コンサートです。無料のファミリーコンサートと言っても内容は充実していて、「こんなコンサート無料でやっちゃったら定期や名曲コンサートにお客さん来なくなっちゃうんじゃない?」と心配してしまうほどです。 以前書いたことと重複しますが、私がこのコンサートと出会ったのは中学生の時です。当時同じクラスの友人のI君が大のクラッシックオタクで、それほど気の進まない私を毎月半ば強制的にこのコンサートに連れていってくれたのが始まりです。当時はチェロもまだ始めておらず、クラッシックへの興味もそこそこだった私は、知っている曲でもあればまだしも知らない曲の演奏会となると、2時間だまって座っているのが苦痛でした。その苦痛な時間をなんとか楽しいものに変えるべく努力して効果があったのが”予習”です。次の月のコンサートの曲目をFMなどで録音して何度か聴いてから出掛けるようにしました。この効果は絶大で高校に入ると聴いているだけでは飽き足らずにチェロを習い始めました。今でも親交の続いているI君にはとても感謝しています。 このコンサート、地元の企業がお金を出して地元の放送局が公開録音という形で提供して、地元のオーケストラが演奏するというまさに理想的な形だと思います。特に何千円もするコンサートのチケットなど到底買えない当時の中学生にとっては本当に貴重でした。関係者各位の長年にわたるご尽力には感謝するとともに本当に頭が下がります。 今手元に昭和55年第100回のプログラムがあります。こういうものを大切に取ってあるとは我ながら健気というかいじましいのですが、実家の押し入れから探し出して来て見てみると、ほぼ20年ぶりに見たのにプログラムの表紙、指揮者やソリストのプロフィールの写真、中の記事や背表紙の広告にいたるまで、どれも最近見たかのようにはっきりと覚えています。「そういえばコンサートが終わって帰ってきた後も家で何度も読み返したな」と思い出しました。 今見ると歴史を感じてなかなか面白いです。ちなみに第100回は今は亡き森正指揮、中村紘子ピアノ、立川清登バリトン、島田祐子ソプラノ、ですね・・。読んでるうちに思い出しましたが、この日のコンサートは良い席を取るために整理券を持ったお客が会場の厚生年金会館の周りにぐるっと行列を作っていました。私とI君も会場の2時間くらい前から雪が降る中並んだっけ・・・。この年は指揮者に福村芳一、手塚幸紀、佐藤功太郎、エビット.ハウエル、鈴木秀太郎、尾高忠明、江藤俊哉、小泉和裕、早川正昭などが登場してますね・・。なるほど、ふんふん。 先月のほくでんの演奏会の後仲間うちの飲み会で、番組プロデューサーのHBCの玉川さんと司会の浅野英美アナウンサーと記念写真撮りました。浅野さん、先月のほくでんで司会最後だったのです。ほくでんに来たことある人はひょっとしておわかりになるかもしれませんが、彼女の「(大きな声で)こんばんわ! (小さな声で)こんばんわ〜」という挨拶は「癒されるよね〜〜〜」と一部の楽員のあいだで評判でした(^^)。玉川さんは3年前から番組担当ですが、最初オケに挨拶にいらした時は「社命により当番組の担当になりました。」などと堅苦しく言っておられましたが、最近はスーツも私服にかわりすっかりとけ込んでます(笑)。 足しげくほくでんファミリーコンサートに通った頃から20年、今日の第355回ほくでんファミリーコンサートは円光寺雅彦指揮でチャイコフスキーの「悲愴」でした。 第100回のプログラム 飲み会の写真。左が玉川さん。右が浅野さん。まん中は私。
札響のわりと若い世代が集う焼き鳥屋が市電の通りにある。定期演奏会や大きな演奏会が終わった後20代や30代の楽員が飲みに行くといえばこの店。新入団員がまず連れていかれて先輩たちの洗礼を受けるのもこの店だ。 カウンターが10席、小上がりには四人掛けのテーブルが二つ。カウンターの向こうはマスターの渡部さん、通称ナベさんが切り盛りしている。ナベさんは焼き鳥屋をやる前は魚屋さんだったので刺し身がとってもおいしい。東京から来たエキストラを連れていくときは新鮮なカニや季節の魚を用意して待っていてくれる。東京のお客さんがいなくても定期演奏会の日は終演後集団で訪れる僕たちのためにすき焼きや鍋の用意をしてくれている。演奏会の後じゃなくてもここに行けば誰か団員に会える可能性は極めて高い店だ。 酒の席では団員同士で職場の愚痴なども当然出ることはある。愚痴だけではない。悲喜交々、演奏の不出来、人間関係、いろんな話しをナベさんはカウンター越しに聞かされているに違いない。閉店の12時を回って他の客がいなくなるとナベさんは焼き鳥を焼く炭を落としてビール片手に会話に加わることがある。この時のナベさんのアドバイスほど信頼できるものはない。もちろん彼が誰か他の人が話した内容を他に漏らすことはあり得ないのだが、例えば「今は謙虚になるべきだ」あるいは「演奏にだけ集中しろ」、「もっと自信を持て」といった内容を彼独特の北海道弁に込めて伝えてくれる。 だが、この貴重な彼のシグナルを理解できるようになるためにはこの店に通わなくてはいけない。ボクが札響に入って初めての定期演奏会の時にこの店に連れていかれたときは、何故か宗教というものを信じるか否かでナベさんと言い争いになってなんと明け方の6時まで付合わせてしまった・・・(笑)。しかも人使いが荒いことでは常連客とて容赦しない・・、「おーーい、荒木。この魚あっちのテーブルに持っていってくれ」というナベさんの大声を聞くと初めての客は驚くだろう・・(爆) ナベさんの人柄が出る話しが一つあります。私の妻も札響の団員なのですが、私と結婚する前にどういった風の吹き回しか一人でこの店に行きたくなったそうです。これは後で知った話しですが、普段の飲み会ではビール一杯で顔が赤くなる妻が一人で店に入ってきたのを見て、ナベさんは「ついに荒木を別れたか・・・・」と思ったそうです。どうして慰めていいものが困ったナベさんはカウンターに座った妻にケーキを出したそうです。当然焼き鳥屋にケーキなどあるはずもなく、時々店を手伝いに来るナベさんの奥さんにケーキを買ってくるように電話で頼んだんでしょう・・・。かくして妻はビールのつまみにケーキを食べるハメになったそうです。 札響は夏にグリーンコンサートという野外演奏会を開催しているのですが、去年のグリーンコンサートの時、芝生の客席の最前列に敷物を敷いて陣取るナベさんの姿がありました。ボクたちがナベさんに気づいて手を振ると照れ笑いしながら手を振り帰してくれました。・・・・そっか、誰よりも札響に詳しいナベさんも、夜はお店があるから札響の演奏会って来れないんだよね。 これからも良きたまり場であってください。
札響コーナーのトップページでもお知らせしましたが、昨年4月に録音した札響のCDがシャンドスからリリースされました。今回のCDは今までの自主制作とかインディーズではなくて、メジャーレーベルからの世界発売です。ここが大きいのです。 さて、シャンドスのページの新譜情報に札響CDがリリースされている情報を1月17日に知って、早速シャンドスページから注文しました。日本での輸入盤の発売は1月末、日本語版は更に先とのことだったので気長に待つか・・と思いきや、わずか5日で送られてきました。 ジャケットのデザインもキタラホールがデデーーンと写ってるところに札響のまん中あたりの写真が乗っかってる感じでカッコイイです。どうせなら全景が写っててもよかったのに・・・、などと思いながら聴いてみると、すごい、上手い、感動。これがメジャーレーベルの力か・・・。札響ものすごく上手です。迫力ある金管、美しいアンサンブルの木管、切れ味のよい打楽器、そして分厚い音色の弦楽器・・・・。もちろん本当に札響が上手だということもあるんですが(^_^;)、録音の力も大きいでしょう・・・。これは。アメリカとかヨーロッパの一流オケみたいです。でも音色はちゃんと札響なんですね。 今日仕事に行ってみるとどうやら私以外だれもCDをまだ聴いていない模様・・。さんざん吹聴してきました。休憩時間などに皆が集まるラウンジがキタラの舞台裏にあるんですが、そこでCDの話しをしていて「すっごい上手だったよ。」などと話してインターネットの通販で買ったことも自慢して、「しかもCDの値段は送料込みで僅か11ドル!!」と声高に話していると、某札響首席指揮者が寄っていらして「それってさ、11ポンドじゃない?」。・・・・・(`口´;)げはっ!・・恥ずかしい・・。どうりで安すぎると思った。 邦人の現代曲ばかりでとっつきにくいと言えばとっつきにくいのですが、是非買いましょう。損はしません。 当ページの常連など数人から嬉しい話しを聞きました。マルサ2にあるパルス21(札幌最大手のCD屋さん)のクラッシック売り場の店員さんが、来る客来る客に「こんど出る札響のCDいかがですか?」と薦めてくださっているそうです。本当にありがとうございます。とても励みになります。
1月19日の定期演奏会でがりちゃんがソリストをつとめた。がりちゃんというのは札響首席ビオリストの廣狩氏のことである。 曲は林光のヴィオラ協奏曲「悲歌」。この定期は90年代に作曲された邦人作品で構成されていた。「悲歌」という曲は知らなかったがよい曲だった。 ソリストをつとめたがりちゃんはかなり前からこの日の演奏会に向けてナーバスになっていたに違いない。本番当日の緊張は想像して余りある。当然である。並みの人間なら無事でいられるものではない。よくお客さんなどに「プロでも緊張するんですか?」と訊かれるが「プロだからこそ緊張するんです」と答えている。アマチュアと違ってプロは上手に弾けて当たり前、しかも高い入場料を取って演奏するのだ。客の期待が高いほど緊張するというものなのである。 オーケストラの定期演奏会というのは言うまでもなくそのオケにとって一番大切な演奏会なわけだから、そこで指揮をしたりソリストとして出演する責任は重い。まして自分が在籍しているオケの場合はなおさらだ。 そういったプレッシャーを弾き返して本当にいい演奏でした。音もよく出てたし音色も柔らかくヴィオラの音を堪能できたし、アンサンブルもよかったし、よく歌ってたし・・・・。あの状況でよくもあれだけの芸当ができるものだと私などはただ感心してしまう。 それにしても、「悲歌」はわりと小編成の弦楽器のみでの伴奏だったのですが、こっちまで緊張した!。編成上の音が薄くてアンサンブルがシビアなこともあるけど、やはり仲間がソリストとして出演してる要素が大きいでしょう・・。カデンツァの時は弓を握っている手が汗でびっしょりになりました(笑)。 演奏が終わると客席はもちろんですが舞台上からも大きな拍手がおこりました。同業者からこれだけ無条件の賛辞を受ける人も珍しいです。 少しばかりの妬みを込めて、心からブラボーでした!!
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