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『オケマンの第九』 今年もこの季節がやってきた。神秘的な五度の響きを打ち破る激しく荘厳な第1楽章第1テーマ。圧倒的な緊迫感が支配する第二楽章スケルツォ。第三楽章では天上をも思わせるアポロ的美が出現し、それら全てを否定して歓喜の歌がこだまする第四楽章。 そう、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」である。駄作であるなどと奇を衒った見方も一部にはあるが無視しよう。既に聴力を失い貧苦と闘いつつ天才ベートーヴェンが己が命を削り到達した人類未踏の芸術的境地である。 しかし、この交響曲を師走の風物詩にしてしまった国はわが日本国だけだ。そもそも戦後間もない頃、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が年の暮れに団員に支払う餅代を稼ぐためにはじめたのが事の起りだそうだ。何故第九かというと、合唱団の家族が演奏会に来るため入場券を買うからである。 この企画の発案者の狙いは見事当ったわけだが、半世紀たった今も経営難に喘ぎ「第九」で餅代を稼ぐ日本の交響楽団の姿に発案者氏も嘆いているのではあるまいか。 札響は年間で「第九」を演奏する機会は数回ある。年に同じ曲を数回演奏するとなると、毎回新鮮な気持ちで臨むのにはある程度努力が必要になる。しかし東京でも最も忙しいことで知られているあるオーケストラは一二月だけで「第九」を三五回演奏した記録があるそうだ。古今独歩の傑作交響曲とはいえ、ここまでくると緊迫感もアポロ的美もどこへやらといった心境だろう。 忠臣蔵を演じる歌舞伎役者、孫悟空を演じる京劇役者、印篭を出す助さん。ひょっとして皆同じ感情を抱いているのかもしれない。 何事も”過ぎ”はよくないのだ。
『第九の季節』 今年もこの季節がやってきた。神秘的な五度の響きに始まり、歓喜の歌がこだまする第四楽章で大団円を迎える。そう、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」である。 古今独歩の大傑作交響曲であるが、これを師走の風物詩にしてしまったのは日本国だけだ。そもそも戦後間もない頃、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が年の暮れに団員に支払う餅代を稼ぐためにはじめたのが事の起りだそうだ。何故第九かというと、合唱団の家族が演奏会に来るため入場券を買うからである。 東京でも最も忙しいことで知られているあるオーケストラは一二月だけで「第九」を三五回演奏した記録があるそうだ。札幌交響楽団も三五回には及ばないが一二月だけで毎年数回は演奏する。 二十代の頃参加したある国際音楽祭で、同年代の欧米の奏者に「第九」を演奏した経験がない人が多いのに驚いた。合唱団と4人の独唱者を必要とする大編成の「第九」は本来頻繁に演奏される曲ではないのだ。さらに日本でこの仕事をしていると忘れがちだが、実は「第九」は技術的にも非常に難しい。すでに聴力を失って久しいベートーヴェンによって書かれたこの曲には「演奏不可能」と言われる箇所がいくつもある。外国人の指揮者が来て日本のオーケストラがその「第九」を苦もなく演奏するのに驚いたという話しは珍しくない。 聴衆や合唱団もまたしかり、どこの国にこの曲を演奏するオーケストラの細かい間違いを指摘できる聴衆、町ぐるみで第九を歌う合唱団がいるだろう。なぜ「第九」がこうまで日本人に受けいれられたのか、考えてみれば全ての楽章のテーマを否定し、最後に高らかに謳われる歓喜の歌の登場シーンは、悪代官や越後屋の悪を否定し印籠を高らかに出す助さんの姿に似ていなくもない。 ここまで来たら次に目指すは国民総第九オタク化計画である。
「衝撃の第九」 ベートーヴェン交響曲第九番。「第九」として知られるこの名曲を年末恒例にしてしまったのは日本だけだ。なぜそうなったかには諸説あるが、とにかくわたしたち日本のプロ・オーケストラの楽員はこの曲を数え切れないほど演奏している。東京のある楽団は12月だけで35回この曲を演奏した記録をもっているほどだ。 「第九」はベートーヴェンという超メジャーな作曲家によって作曲され、これ1曲で演奏会が成立する長さがあり、大編成で、合唱が入る部分は壮大で、演奏する側にも聴く側にも何か偉大なものに触れた満足感と達成感を与えてくれる。それが人気の理由だろう。 全ての音符を覚えてしまうほど演奏している第九、若干新鮮さに欠けてくるのも事実だ。しかし、昨年12月26日に演奏した「第九」は忘れられない。常任指揮者の尾高さんと札響のベートーヴェン交響曲連続演奏会の最終日でもあった。そしてその頃、新聞やテレビでは札響の経営難。破綻・解散か?、といった報道が連日なされていた。 練習初日の24日、クリスマスイブにもかかわらず楽員集会を開き、札響の今後について夜まで話し合った。当たり前に続いてきてこれからもずっと続く事を疑っていなかった「札響の第九」。まさかの事態に、皆これが最後になるかも知れないとの思いで本番に臨んだ。会場はいつもと違う熱気を帯びていた。迫真の演奏だったと思う。最後の音が鳴りやまぬうちに会場一杯に割れるような歓声と拍手が起きた。 あれから一年、未だ再建途上とはいえ、大きく飛躍しようとしている現在の札響の姿を誰が想像できただろうか。今年は、当たり前にこれからもずっと続く札響の第九|を演奏出来る幸せを噛み締めながら舞台に臨みたいと思う。
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