【エッセー打ちあけ話】−第一話−('03.12.4) 8月の終わりか9月のあたまころ、道新文化部のTさんからメールがきました。Tさんは札響関係の取材などで旧知の仲。札響の良き理解者でもあります。 「えー、あらきさん、突然ですが道新にエッセー書いてくれませんか?。取合えず明日の夕刊見てください。オール読み物新人賞の桜木さんという方のエッセーが載ってます。そこが書いていただきたいコーナーです。云々・・」 で、とりあえず見てみました。道新とってるのでこのコーナーは知ってました。ほぼ3ヶ月交代で筆者が変わります。前の月までは現代歌人の方のエッセーでした。この方のエッセーはそれはそれは面白かった。 「わたしのような素人で務まるかはなはだ不安ですが、お引き受けします」と二つ返事。”来た仕事は断らない”、まだ駆け出しのフリー奏者時代に培われた習性は健在です。そう、いま書いてるエッセーは札響の業務じゃなくて、エッセーにも書いたけどHP見てくれて直接あらき個人に来た仕事なので、ここはおおいに自慢したいところなのです。ま、札響の楽員だから来たってのが大きいですけどね。 とは言うものの「はなはだ不安」は謙遜ではなく本音です。文章書きのプロたちが毎回登場しているコーナーにド素人のわたしがのこのこ出ていって、リスクを犯してまでわたしを起用したT氏の顔を潰しては一大事。ジワジワと事の重大さに気づきます。 で、当然ながら連載が始まってから毎週1本のエッセーを書き続けるなんていう芸当はできないので、10月初旬には12話全部書き上げる個人目標を設定。9月の頭から思いついたネタを手帳に書き留める作業が2週間、残り2週間で文章にしました。これはけっこうキツい作業だったのですが、なんとか書きあげて10月頭には6話分、中旬には12話分耳を揃えて、一太郎文章をメールに添付してT氏に提出。 テーマは指定されていて「札響やオーケストラにちなんだエピソードを交えて、読んだ人が札響に好感を持って演奏会に行きたくなるような内容」、で、一回600字です。一太郎の書式をいじって新聞風に11文字×51〜52行くらいにして書いていきました。思い付いたままに書き進むと、だいたい800字位になってしまうので、バッサバッサと余計な部分を削って縮めていきます。それでも650文字位。あとは断腸の思いで1エピソード分の文節をカットしたりして、やっと600字。 最初の6話を完成して送った時点で、T氏からは「内容も面白く、文章も立派です。これは手がかからないわい(失礼!)と正直ほっとしました」とお褒めのメール。執筆者のモチベーションを高めるのも記者の仕事なのだろう。まあ、話半分で聞いておこう。でもとりあえずホッとして後半6話への執筆意欲が高まります。(つづく)
【エッセー打ちあけ話】−第二話−('03.12.16) 全話書き終えやれやれとひと心地ついた10月半ば、T氏からメールが来ました。「えー、あらきさん。いただいた原稿は予想通り素晴らしく、まったく手がかかりません。大変助かります。」と始まり、「でもせっかくなので、少し手直しさせてください」と本題に入り、以下、T氏言うところの”新聞屋の文章教室”が続き、これから毎週行われるであろうT氏とわたしの手直し合戦のやりとりの方法など事務的な連絡があり、最後は「いっしょに頑張りましょう」とわたしの決意を促す文章でしめくくられていた。 このT氏の”新聞屋の文章教室”。大変面白く実践的で勉強になり、なるほど・・、と目からウロコの連続で全文を掲載したいとこなのですが、もったいないので独り占めします。その一部で雰囲気だけでも・・・。 曰く、体言止めの連続は避けましょう。読者に冷たい印象を与えます。 なるほどね〜〜。よし分かった。いままではルールを知らずにゲームをやっていたようなもの。それが分かればいくらでも書きようがある。勇んで原稿の手直しに入ります。 よく新書の作者あと書きなんかに、「最後になるが、編集者の○○氏に感謝の意を云々」って書いてあるじゃないですか。「なるほど、こういう事か」とよく分かりました。きっと皆さん相当やられてるんでしょうな・・(笑)。 字数制限とテーマの指定と編集者とのやり取りと表現の不自由・・。こうなったらバーチャル作家生活を徹底的にエンジョイしよう。そもそも、こんな【打ちあけ話】書けるものバーチャル作家たるアマチュアの醍醐味だしね。(つづく)
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