ビールの友 2002〜


【アップル放送記録5】11月6日『嗚呼 山本直純”オーケストラがやってきた”』

山本直純/おもちゃのチャチャチャ

J.S.バッハ/トッカータとフーガ(ストコフスキー編曲)

J.シュトラウス/常動曲

山本直純/白銀の栄光

ビゼー/カルメン「前奏曲」

ベルリオーズ/「ラコッツィー行進曲」

レハール/「金と銀」ワルツ

山本直純/「男はつらいよ」のテーマ

去る平成14年6月に亡くなった山本直純さんネタです。昔TBSでやってた”オーケストラがやってきた”の功績や、作曲家としての山本直純。また、エンターテイメント性溢れる指揮者としての山本直純。練習中の天衣無縫な振る舞い(笑)などのオケ弾きから見た山本直純などの話しをしました。

また札響は山本直純が最後に指揮したオーケストラになりました。その本番でのぶっつけで弾いたメロディカでの金と銀の事など。私が初めて聴いた生オケが1972年札幌市民会館で収録された”オーケストラがやってきた”の公開録画だった事など。また当時の時代背景などについて。


【アップル放送記録4】10月30日『ピット大好き!白鳥湖(はくちょうこ)に萌え萌え』

「白鳥の湖」全曲より組曲に無いものを抜粋

オーケストラピットで弾く事の醍醐味や秘話を交えて話しました。わたしはオペラも好きですが、弾くという事に限定するならバレエの方が音量もガリガリ出せてスポーツみたいで気持ちいいのでバレエが好きです(笑)。特に白鳥の湖(業界では”はくちょうこ”と呼びます)が好きで、実は演奏会などで取り上げられる”組曲”に入っていない名曲が沢山あるのです。そういう曲の中から更にノリの良いものを厳選して、白鳥湖組曲荒木抜粋版を流しました。

多少無理があったのですが(笑)、白鳥湖と言えばルパン三世!という事で、白鳥湖の曲たちを使った、名作の誉れ高かく、”次元もの”としても名高い第55話「国境は別れの顔」をグランパドゥドゥーに乗せて再現しました。次元とモスクワバレエのプリマ「モニカ」が亡命のための逃避行中の山小屋でのシーンです。前回ラジドラが予想に反して(笑)好評だったのですっかり調子に乗ってます(^^)


【アップル放送記録3】10月21日『クラシックとの出会い=青春編=”映画「野獣死すべし」で使われた名曲たち』

ショパン/ピアノ協奏曲第1番 第1楽章

                   第2楽章

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 第1楽章

アルビノーニ/弦楽とオルガンのためのアダージョ

野獣死すべしサントラ版より「野獣死すべしのテーマ」

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 第1楽章

松田優作主演、1980年封切りの角川映画「野獣死すべし」は仲の良い友人と一にはまり、100回以上見ました。後で雑誌などで知ったのですが何故かこの映画、昭和40年生れにピンポイントで物凄い影響を与えたようです。この映画にはまったという著名芸能人、モックンや中森明菜など昭和40年生れがズラーっと並んだ雑誌の特集を見たことがあります。かっこよさの定義やものの価値がすっかり変わってしまった80年代の幕開けを当時中学3年〜高校1年だったこの世代が感じ取ったのかも知れません。私も著名ではありませんが40年生れとしてすさまじい影響を受けました。映画の中ではクラシック音楽が重要なモチーフとして多数使われています。

ラジオドラマ仕立てで主役の松田優作扮する伊達邦彦と小林麻美扮する華田令子が銀座ヤマハのレコード売り場で再会するシーンを映画通りにショパンのPコン2楽章に乗せて岡部さんと再現しました。こんな事をラジオでできる日が来るなんて・・(涙


【アップル放送記録2】10月9日(第2回)『クラッシックとの出会い=幼児期編=”トムジェリで使われた名曲たち』

ヨハン・シュトラウス「こうもり」序曲 (「星空の音楽会」(1950年)

リスト「ハンガリー狂詩曲2番」 (「ピアノ・コンサート」(1947年)

チャイコフスキー 「眠れる森の美女」よりワルツ (「氷遊び」(1954年) 

ヨハン・シュトラウス 「美しき青きドナウ」 (「ワルツの王様」(1953年)

ロッシーニ セビリアの理髪師から「わたしは街の何でも屋」 (「オペラ騒動」(1964年)

小学生の頃、繰り返し再放送を見てすっかり記憶に刷り込まれてしまった”トムとジェリー”ですが、クラシックの名曲がふんだんに使われていました。50年代までの”トムジェリ”のスタジオワークの素晴らしさ(60年代以降は”新トムとジェリー”として放送されましたがクオリティーはがた落ちでとても同列には扱えない)や、音楽ネタを中心に放しました。ちなみに上の曲のロッシーニは、長年「フィガロの結婚」だと思っていた、とうい事で岡部さんとも一致し、とても盛り上がりました。彼女もかなりのトムジェリフリークでありました。


【アップル放送記録1】2002年9月13日(初出演)

バッハ/無伴奏チェロ組曲 第6番

馬頭琴の音楽/嵯峨治彦(馬頭琴)

モーツァルト/弦楽四重奏曲 第22番 1楽章

ヴィラ・ロボス/ブラジル風バッハ 1番(第1楽章)

今回ははじめましての自己紹介がてらチェロのお話しをしました。チェロの楽器そのものや演奏スタイルの歴史。また楽曲の中でのチェロの扱われ方の変化について話しました。馬の尻尾の毛を使った弓で弦を擦る擦弦楽器のルーツとしてモンゴルの馬頭琴の曲も1曲紹介しました。また、アマチュアチェリストでもあるプロシア王の注文で、彼が弾くことを想定して書かれたモーツァルトの弦楽四重奏曲22番をかけました。


FMアップル76.5Mhz(2002年9月13日更新)

ひょんな事からFMアップルといういわゆるコミュニティーFMへちょくちょく出演させてもらえる事になりました。パーソナリティーの岡部さんとはホームページ上やネットの掲示板などではお互いの存在は認識していたものの、面識はありませんでした。

岡部さんはこの局の昼12時から14時までの2時間”ランチタイム・ポップクラシック”という番組のパーソナリティーを担当して4年になるそうです。私はお話しを頂いてからこの番組を聴くようになったのですが、ラジオのクラシック番組といえば、楽曲や演奏者の解説があって、曲を全部流して・・、というのがあたりまえのスタイルですが、この番組の面白いところはそういう型に全くはまらず、岡部さんの感性の赴くままポピュラー曲の番組のようにクラシック音楽を使って番組を作っている事だとおもいます。ですから曲が途中で中断することもあれば、トークがかぶる事もあり、話題も楽曲の解説に止まらず多岐に渡っています。

民放のラジオ曲でお昼の2時間をクラシック番組に割く事自体すでに画期的と言えると思いますが、注目を集めているこのコミュニティーFM局でこうした試みがなされている事はクラシック業界としては心強いものを感じます。

今日が初めての出演だったのですが、岡部さんのゲストを務めるのが私の仕事です。といっても番組中かけるCDやネタなどは「ご自由に」という事で私に任せてくれているので(驚くべきことに)、思う存分自分の趣味で進めていいようです。今日は最初という事でチェロの曲を中心にバッハの無伴奏や、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハを持っていき、チェロの歴史やら無伴奏を弾く時の苦労などを岡部さんに導かれながら話しました。

「札響の楽員というより荒木さん個人としてマニアックなネタを・・・」という御所望です。マニアックといっても職業演奏家の多くは、海外の演奏家の名前を沢山知っていたり、「何年録音の某のCDの演奏は・・・」などといったCD蒐集家やいわゆるクラオタ的なネタには疎い事が多く、私も例外ではありません。自分の主観や経験に基づく話しが中心になると思います。そのうち本能の赴くまま懐かしのアニメで使われたクラシックで一人盛り上がったり、個人的な思い出の曲などで番組の中で一人感傷に浸ったりしたいと思います(笑)。

週に1回のペースで、というお話しだったのですが、札響の勤務形態が不規則で毎週何曜日という訳にはいかないので(生放送なので)、月に3〜4回のペースで出演する予定です。

次の私の出番は10月9日です。

FMアップルのホームページ

Lunch Time pop Classic 番組のホームページ

パーソナリティーの岡部道子さん

私。岡部さんと向かい合わせで座ってます。

 


道道106号線(2002年、6月13日更新)

北海道の道で一番好きな道を挙げろと言われたら、手塩から稚内に抜ける道道106号線を挙げるかもしれない。日本海に面した道北の手塩町から日本最北端の街稚内市に続くこの道は全長約70km。内陸にサロベツ原野、海を挟んで利尻富士を臨みながらひたすら直線が続く。行く手を阻むものと言えば、区間中唯一ある信号一基だろうか。

上の地図の海沿いの道が道道106号線なのだが、稚内の直前に抜海という街がある。ちょうど道が内陸に入った所なのだが、昔小泉今日子のドラマの「少女になにがおこったか」で小泉今日子扮する主役のピアニスト志望の少女が子供時代母親と隠れ住んでいたという設定の街であるが、これは余談。

札響はとにかく道内の演奏旅行が多い。車で移動する団員が多いのだが、皆道内の道には強制的に詳しくなってしまう。数年も在籍すれば道東だろうが道南だろうが道内であれば地図はいらない。10年在籍すれば道内の国道沿いのコンビニの場所はほとんど把握してしまう。慣れてしまって新鮮さも感じない道内の道だが、この道道106号線はいつ行っても気持ちがいい。

写真は海を挟んで見える利尻富士。この日はあいにく薄曇りで利尻島の街は見えなかった。利尻富士は天塩町の手前あたりから見えはじめる。

札幌と隣接する石狩市から国道231号線を走り手塩からこの道道を走れば稚内まではひたすら海沿いの道を走ることになる。ちょうど中間地点の苫前町、羽幌町のあたりからは夜だと天売島、焼尻島の夜景も海を挟んで見ることができる。

道道106号線沿いに20基ほど立ち並ぶ風力発電の風車。写真だと大きさが分かりにくいが、かなり大きい。ウルトラマンくらいの大きさはあると思う。最近道内のいたるところにドカドカと立っている風車だが、国道231号線沿いには特に多い。当然風の強い場所に立てられる訳だからこの道沿いに多いのは頷けるが、なだらかな丘の上にこの巨大な風車がある景色はかなり無気味である。ギョッとする。恐ろしい。しかも夜にはライトアップしてある所が多い。ますます無気味である。己の姿をライトアップするためだけに1日の蓄電料を消費してしまうのではないかと心配にもなる。誇らしげにライトアップしてあるがいかがなものか。

話しが外れたが、国道231号線は鰊漁で栄えた頃の昔の番屋跡があったり、往時の繁栄を偲ばせる街並みや廃墟があったり、今は廃線となった国鉄羽幌線と平行して走っていたり、なかなか見所も多い。稚内旅行は年に1〜2回あるがまだまだ楽しめそうだ。


PC大改造の巻き (2002.4.5更新)

3年半ぶりにパソコンをリニューアルしました。前使っていたのはceleron366Mhz搭載の自作機で、さすがに最近非力さを噛み締める事が多くなり大改造に踏み切りました。もともと私はPCはハード面にはあまり興味がなく、改造は自信も無いし億劫だったのですが、PCやってる人に「パソコンはなに使ってるんですか?」と訊かれ、説明するたびに笑われるのも一因でしたが(笑)、最近バージョンアップしたフォトショップ6が忍耐の限界を越えた遅さで動作するのが直接の引き金でした。それとCPU600Mhz以上推奨のフライトシュミレーター全く動かず、ゲームごとき出来ないのもいやだったし・・・。

さて、3月中は大曲が多かったり旅行が多かったり忙しかったのですが、4月に入ってPC大改造を楽しみに乗り切って待ちに待った4月の到来。
高いお金をかければハイスペックなPCが組めるのは分かっているのですが、ここはやはりプアーな自作派ユーザーの醍醐味として4万円くらいで『今どきのPC』を制作したいところです。

今までのマザーボードはABITのBM-6というやつで、チップセットはintel440BXです。制作当時の’98はPentiumII400Mhzが鳴り物入りで発売された時期で、PCショップにはこのチップセットの搭載を謳ったマザーボードが誇らしげに並んでいました。しかしそれも今は昔。GhzクラスのCPUを載せるためにはマザーボードごと取り替えないといけないので、今回はマザーボードとCPUを交換してHDDやグラフィックボードやSCSIボードはそのままという計画をたてました。

CPUはPentiumWの1.5Gあたりにしようか、それとも使いなれたsocket370のボードにセレロン1.3Gあたりを載せるか迷ったのですが、PentiumW用のsocket478のボードはメモリは専用のRDRAMしか使えないので、今までのSDRAMを捨てて買い替えなくてはいけません。ただでさえペン4は高いうえにメモリごときに数万円投資するのもイヤなのでセレロンにしました。AMDのCPUもありますが、なんかAMDは超ディープな自作派ユーザーのためのCPUとうい先入観があって、私ごときには敷居が高いのです(笑)。それにセレロンは「多少トロいがタフ」というイメージが私の中で定着していてどうも捨てがたいのです。

4月1日、札響の練習が早く終わったのでその足でパソコンショップに向かいました。いつも行っている北大の向かいにあるパソコン工房というパーツショップです。セレロンの1.3Gを購入後、PC屋のお兄さんに相談してお薦めマザーボードをピックアップしてもらいました。マザーのチップセットは低価格で組むといっても譲れないところだし、PCIスロットが沢山付いていてタフなマザーボードが希望だったので、ここは1,000円や2,000円をけちらずにAsusのTusl2-C(i815-e/pci×6/socket370)を購入しました。あと電源ユニット付きのケースも新しいのを買いました。これは5,400円でした。

家に帰ってきて早速組み立て。ケースにマザーボードを固定して、CPUとCPUクーラーをマザーボードに付けます。マザーボードを載せる台がケースから外れないタイプだったのでちょっとやりにくいでが、安いので仕方ないです。マザーボードに電源ソケットを差して、古いPCからHDDを外して新しいPCに繋ぎます。

マザーボードにセレロン1.3Gを載せるところ。

左が旧PC、手前が新PC。移植作業中。

マザーボードの説明書って英語で書かれてるのでこれが大変。CPUやメモリのクロック数を設定するセレクトスイッチはどうやら手動でやる必要はないと書いてあるみたい。全部オフにしておけってことか・・。うーむ。自信ないがそう書いてある気がする・・。パワースイッチとかリセットスイッチとかピープー音のコードを繋いで、とりあえず次の作業。

HDDの移植。HDDは旧PCのをデータを消さずにそのまま使うので、これが終わってBIOSを設定すればとりあえずウンドウズは動くはず・・。

HDDだけ付けた上の写真の状態でとりあえず電源を入れてみる。これが間違いの元。ウインドウズは立ち上がったものの、次から次に「不明なデバイスが検出されました、ウインドウズ98のCDーROMをセットしてください」とか「○○が検出されました、ドライバーをインストールしてください」という表示が現れまくりました。そりゃそうだよな〜〜、CD−ROMドライブ付けてから起動させないとダメじゃん!!、と己の愚かさを呪う・・。

次から次に現れるデバイス検出の表示をキャンセルしまくり、とにかくウンドウズを立ち上げました。見慣れたデスクトップ上のアイコンたちが並んでいる画面がやっと現れました。ただし16色の最低解像度で・・。

恐る恐るデバイスマネージャーを見てみると、不明なデバイスのオンパレードで、しかもPCIスロットとグラフィックボードは認識すらされていない・・・。

ま、しょうがない。CD-Rドライブを付けた後にコツコツ手作業でドライバーを組み込んでいこう・・。と思いましたが、待てよ、考えてみればCD-RドライブもCD-RWドライブもSCSI接続だったんだ・・。つまりSCSIを認識しないと当然CD-Rも動かない訳で、そのSCSIを認識させるためにはCD-Rが必要な訳で・・。どうしよう。ウンドウズ3.1時代に買ったフロッピー50枚組みのウンドウズ95はあるけど、まさかあれ使うわけにもいかんしな〜〜。
以前作ったときにオンザフライでCDーRをコピーしたりする時に安定するのでIDE接続ではなくSCSI接続にしていたのです。

 

仕方ない・・。今では3,000円位で売っているIDE接続のCD-Rドライブを買うか、と思ったのですが、ここは前向きに考え方を変えて、IDE接続のDVD-ROMドライブを買う事にしました。DVDで映画も見れるしね・・。次の日再びPC工房に行って8,400円でバルク品のDVD-ROMドライブ@IDE接続を購入。
帰ってきて付けました。今度はデバイス関係も一気に認識させようと思い、CD-RWドライブもSCSIボードもサウンドボードもLANボードもビデオキャプチャーボードまで付けてPCを起動させました。

とりあえず立ち上がったものの、SCSIボードとグラフィックボードがいくらやっても認識されません。おまけに買ってきたDVD-ROMにCDーRを入れて読ませようと思ってスイッチを入れた瞬間に「一般保護違反」の青い画面とともにPCがフリーズします。PCの動きもかなり挙動不審な感じで、今度はフロッピーディスクがリムーバブルディスクとして認識されて動きません。おそろしく不安定になっています。

これはやばいな・・・。HDDフォーマットしかないか。しかし大切なデータはバックアップは取ってあるものの、デジカメで写した写真のデータみたいな大容量ものはHDDの中に置き去りになっているのであきらめきれません。
そこでPCに異様に詳しい弟に携帯で助けを求めました。彼は歯科医ですが制作したPC数知れず、院生時代は講座のシステム管理者になったほどの究極のPCオタクなのです。

飲み会帰りに寄った弟は私のPCのデバイスマネージャーのおぞましい状況を見て「ひでえな、こりゃ・・。メッチャクチャじゃん」と絶句して、やはりHDDフォーマットしかないと無情に言い放ちました。データは諦めるしかないね〜、との事。うーん、まいった。

HDD余ってないの?、と弟。そういえば以前カラカラと空しい音とともに息を引き取ったHDDが二つあったので、祈るような気持ちで新PCに接続してみました。すると不思議、なんとデータが読めるではありませんか。2年ほど寝かしておいて息を吹き返したとしか思えない怪現象。モニタのDOS画面には2年前に諦めた懐かしいファイル名がしっかりと映し出されています。6Gの壊れたはずのHDDにDOSモードでデータを移植してもらい一安心。新HDDもきれいにフォーマットして新たにウインドウズも入れる事にしました。

このDOSというのが私は苦手でFdisk程度は普通に出来ても、DOS上でデータのやりとりとなるとまるで自信ありません。PC自作関係の本でもハードの付け方は写真入りで詳しく書かれていてもDOSの事は全然書いてませんよね。新品のPCを組み立てるならいいんですが、こうなるとBIOSの初期設定とFdiskの知識だけでは太刀打ちできないものがあります。

 

今まで使っていたのはウンドウズ98のファースとエディションだったので、使えないソフトもちょくちょくあり不便な思いをしていたので、たまたま家にあったウインドウズMEにこの機会に乗り換えることにしました。
ほとんどのデバイスは認識されてドライバーも組み込んだのですが、SCSIとグラフィックボードが相変わらず動きません。ドライバーが古いのが原因の様です。ネットに繋いで最新のドライバーをダウンロードしながら思ったのですが、DVDも入れた事だし、この際グラフィックボードも今時の物を買ってくることにしました。

次の日はビックカメラに行ってアイ・オー・データーのGA-SV408/PCIとうい要するにSavage4proを使った32Mのグラフィックボード(4,980円)と、MelcoのultraSCS IFC-USPとういSCSIボードを4,180円で購入しました。

帰って取りつけてやっとモニタは元どおりの見慣れた解像度で表示されるようになりました。周辺機器のドライバの入れてソフトたちも全部入れて、ネット関係の設定もして、ブックマークなんかも上書きで元に戻して、やっと使いなれた環境復活!。ネットから落としてそのまま使わないでほったらかしになってたソフトなんかは全て綺麗に粛正されて気持ちいいです。問題のフォトショップ6を立ち上げて15Mくらいの画像を呼び込んでみました。う〜〜ん、ゲロ早!!。CPU366Mの非力PCからの体感速度のギャップが素晴らしい快感となって押し寄せてきます。やっぱり作り変えてよかった〜〜。

結局マザーとCPUだけ取り替えるはずか、ほとんど全とっかえになっちゃいました。

全て終わってフタもした新PCの姿。(新PCは本体だけです)

今回の主役。データを救った6GのHDD(Quantum製)。息を吹き返したのでHDD二台付けてゴージャスな気分になっていたのですが、再び異音を放ちだし、慌ててデーターを本体のHDDに移しおえた後、ふたたび息を引き取りました。なんとあっぱれなHDD。キミの事は永久に忘れない・・・。

 

今回買ったパーツたち

会社名/製品名

購入額

お店

CPU

intel/celeron1.3Ghz

\ 11,980

パソコン工房

マザーボード

asus/TUSL-2(i815EP,6PCI,4USB)

\ 12,800

パソコン工房

グラフィック

I-O-data/GA-SV408/PCI(savage4pro)

\ 4,980

ビッグカメラ

DVD-rom

pioneer/DVD-500M(バルク品)

\ 8,480

パソコン工房

SCSIボード

Melco/ultraSCS IFC-USP

\ 4,180

ビッグカメラ

ケース

\ 5,480

パソコン工房

使いまわしたパーツたち

ビデオキャプチャボード

I-O-DATA / GV-VCP2/PCI

サウンドボード

creative / Sound Blaster Live! platinum

ハードディスク

Quantum/ 30G

フロッピードライブ

不明

CD-RW

PlexWriter(12/10/32S)

おしまい


贋作 『チェロと旅』 −チェリストの移動マニュアル− (2002.2.20更新)

昔読んだチェリストの堤 剛さんのエッセイ集のなかに「チェロと旅」というのがあった。飛行機の客室にチェロを持ち込み隣の席に置いておいたら、隣に座るはずのご婦人が「あんな変なものの横に座るのは嫌だ」と言って騒ぎ出した話しなど、チェロを持って旅をする時のエピソードが紹介されていて興味深い。

堤 剛さんならずとも、チェリストにとってチェロを持っての移動は生活そのものであり、エピソードや”生活の智恵”とも呼べる移動の際の裏技を上げれば枚挙に暇が無い。

チェロは通常ケースに入れて持ち運ぶが、ケースには固いプラスチックやFRPと呼ばれるガラス繊維で出来ているハードケースと、布などで出来ているソフトケースがある。プロのチェロ奏者の場合数百万から数千万する楽器を常時持ち歩く訳なので、ハードケースを使うことが圧倒的に多い。チェロと楽器を合せると10kgほどの重さになる。大きさは高さが1m20cm、幅が一番太いところで70cmくらいであろうか・・。10kg入りのお米の袋を常時持ち歩いているのと同じなわけで、まずその苦労を察していただきたい。なんでフルートを選ばなかったのだろう、といつも思う。

この大きくて重くてしかも衝撃や振動に弱い厄介な代物を持ち歩いて、一番難儀な所はなんといっても満員電車であろうか。東京に住んでいた頃はよく千代田線、日比谷線、東武伊勢崎線を利用していたが、乗り換えの階段の近くに乗ったことはまずない。乗り換えに便利な車両は混むので一番避けなければならない場所だ。チェリストはどの線のどの車両が一番不便で空いているのか把握していなくてはいけないのだ。その不便な車両でもラッシュ時間は混む。他の乗客たちの「おいおい、そんな物持ち込むなよ・・」という視線に耐えているだけではダメである。こっちも仕事なのだから、寄らば切るぞと言わんばかりの必死の形相でドア付近の乗客たちを睨みつけてから乗らなければならない。「こいつ危なそうなやつだな・・、関らないでおこう」と思わせるのがコツである。ボクのチェリスト仲間に満員電車の乗客に押しつぶされて、ハードケースの上から下まで貫通するヒビが入った人がいる。幸い中身は無事だったが、乗ってからチェロを守る作業がまた大変なのだ。別の友達に、この友人は女性なのだが、押し寄せる乗客たちからチェロを守りきれないと悟った彼女は大声で「押さないで押さないで!、1千万の楽器が入ってるの!」と叫んだそうだ。さすがに周囲が引いたそうである。

「飛行機に載る時、チェロの料金も取られるの?」というのはよく受ける質問。座席に持ち込む場合は子供料金だがしっかりと取られる。。昔は黙って乗ってしまって空いている席に置かせてもらえたのだが、10年ほど前から国内線3社まるで図ったように急に乗せてくれなくなった。その時から搭乗手続きの時に「楽器はなんですか?」と訊かれるようになった。どうやら搭乗規定のようなものに”チェロ”とうい単語が明記されているらしい。持ち込む場合AB券という連席のチケットを購入してチェロの席を確保しなくてはいけない。AB券は格安チケットやツアーチケットの対象外なので非常に割高である。手荷物で預けてしまう事もあるが「手渡しで」と言うとベルトコンベアーには乗せずに人が手で運んでくれる。もちろんこの場合はお金はかからない。預けてしまって大きな事故というのは今のところ経験はないが、たぶん温度差のせいだと思うが弦が全部ゆるんでしまっていた、ということは2〜3度あった。やはり出来ることなら持ち込みたい。

機内にチェロを持ち込んでからもちょっと面倒な事がある。エコノミークラスだと前の座席につっかえてチェロがすっぽりと床につかないのだ。もし前のお客さんに勢いよくリクライニングされたらチェロが潰されてしまいかねない。かといってシートの上に置くとすごい高さになってあまりにも安定性が悪い。ベストなのはスカイビジョンのすぐ前の席やスチュアーデスさんの向かいの席を確保することである。特にスチュアーデスさんの向かいの席は楽器をネタにスチュアーデスさんとの会話も弾むというものである。是非お薦めしたい。楽器にもシートベルトが必要で椅子に付いているベルトだと長さが足りないので補助ベルトを借りることになる。楽器を持ちこんだ時点でスチュアーデスさんが来てくれるのだが、言われる前に「補助ベルトを貸してください」というと、いかにも旅慣れてるプロフェッショナルとうい感じでカッコイイ。これも是非お薦めしたい。

他にやっかいと言えばなんと言っても長距離列車である。最近スキーやトランクなどの大型荷物を置けるスペースがある客車があるが、これがない電車は大変である。新幹線や特急列車の場合は網棚の幅が広くてチェロを横にして乗せてしまうことができるが、かなり早く並んで他の乗客が網棚に荷物を置く前に網棚のスペースを確保しなくてはいけない。しかも他の客にかなりひんしゅくを買うことは必至である。新幹線で3人がけの椅子が背中合せになる箇所が車両のほぼ中央にあるが、この隙間にチェロを横にして置けた時は一番幸せである。新大阪までぐっすり眠れるというものだ。通路に置くのが一番最悪で車内販売が来るたびにチェロを避けなければならずおちおち寝てもいられない。東京でフリーをやっていた頃は長距離列車や新幹線に乗る時は自転車のチェーンキーを持ち歩いて、ドアを入った所の通路の手摺りにチェロを立てかけたまま縛りつけておいた。目が届かないので心配といえばちょっと心配だが、他にいい方法もないし仕方ない。どなたかいい方法教えてください。

北海道に帰ってきてからは移動は車がほとんどだし、大きな移動の時は楽団のトラックで運んでもらう事も多いのでそれほど苦労はないが、東京にいた頃、雨の日に傘を差してチェロを担ぎながら自転車で駅に行っていたのを懐かしく思い出すこともある。近所ではすっかり有名になって、たまにテレビに映った時などは、駅前の立ち食いそばやのおばさんや定食屋のおやじさんなどに「あんたテレビに映ってたね」などと言われたもんだ・・。大学の時に女子大の学祭に持っていきたいからケースだけ貸してくれっていう友人がいたが、チェロケースって持って歩いてるだけでなんとなくゲイジュツ家っぽいしカッコイイじゃないですか!。(って思ってるのはボクとその友人だけかもしれないけど)、これが意外と代償がでかい。こんど生まれ変わったら指揮者がいい・・。棒だけでいいもんね。


昨日デジカメを買った。(2001年11月29日)

デジカメはオリンパスのCAMEDIA/C-860Lという130万画素のを2年ほど前に購入して使っていたが、英国公演ではその非力ぶりに辟易させらえれて新しいデジカメの購入を決意した。2年前といえばデジカメのハイエンド機は既に300万画素になっていたし200万画素クラスが中級機という扱いだったが、もともとボクは銀塩写真派でハナからデジカメを馬鹿にしまくっていたので『デジカメなんて現像いらずでスキャナで取り込む手間もなくホームページに画像をアップできる事だけが取り柄の単なる記録用、惜しげもなくワイルドな使い方が出来る機種が良い』という理由で敢えてリーズナブルな130万画素の入門機を選んだ。

しかし、英国公演で札響の皆が持ってきたデジカメを見て、薄々気がついてはいたが目を背けていたデジカメの進化を目の当たりにしたのであった。正直言って英国公演前にデジカメを購入しなかった事をかなり後悔した。画素数が増えたことはもちろんだか、最近のデジカメのそこそこ高級なのは絞り優先AEやプログラムオートやマニュアルきり替え当たり前の様に着いているし、夜景モードやらポートレートモードやらがごちゃごちゃと着いている。ナナントカモードはマニュアル設定さえ付いていれば必要ないのだが、絞りをユーザーが設定できる機能は銀塩コンパクトカメラでは10万円以上するニコンやライカ、コンタックスなどの高級機しか備えていないではないか。今まではポートレートを撮る時にバックをぼかしたいというただそれだけの理由でコンパクトカメラを買う時は10万円以上もする機種を選ぶことを強いられていたのだ。

それとデジカメを馬鹿にしきっていたボクはデジカメで”作品”を撮る気もないし、従ってプリントアウトする気もなかった。デジカメを購入してからは記録用のデジカメと本気用の銀塩カメラの2台を持ち歩くという苦行を強いられていた。しかも銀塩カメラは1眼レフのニコンF90xにするか、CONTAXのTvs2にするか散々迷ってニコンを選んだ場合は更にf2.8の標準ズーム1本にするか単焦点レンズの場合は交換レンズを何本持って行くか迷わなければならない。そしてフィルムはネガにするがリバーサルにするが、はたまた白黒で暗室作業を楽しむか迷うのである。休日に近くの公園に子供と遊びにいくたびにこの苦悩の選択を強いられるのははっきり言って辛い。こんなことならデジカメなんて発明されなければまだよかったのに、とよく思う。

ま、そんなこともあってせめてちょっとした外出にはカメラは一台で済ませたいということもありある程度高性能のデジカメを購入することにした。合せてプリンターも進化して銀塩に近い作画&プリントが可能になったことも大きな理由である。買いに行く前に雑誌やネットで色々調べてあたりをつけた。葉書サイズにプリントするのにちょうど良い300万画素クラスのものを買うことにして、愛着のあるニコン製のcoopix885かデザインと携帯性が秀逸なペンタックスOptio330あたりを買おうと思ってヨドバシカメラに行った。共に実売価格は6万数千円くらいである。ポイントカードが2万円分たまっていたので4万数千円の出費ならまあまあだ。正午少し前にヨドバシに着きデジカメ売り場に直行。早速coolpixを手に取ってみた。持った感じは悪くないのだが、モード切り替えがダイヤル式ではなく液晶モニターをつけてボタンで切り替えなくてはならない。これにはまいった。ニコンともあろうものが。いつ過ぎ去るか分からないシャッターチャンスを前に液晶モニターを見ながらピコピコとボタンを押せというのだろうか・・・・。一つ致命的な不満を見つけるとそのカメラを愛せなくなりあら探しが始まる。。ニコン祭り(?)で5,000円バックの得点付きだが決心できなくなってしまった。本売り場に行ってデジカメのレビューが色々載った本を見てみたが不思議とこのカメラについてはどの雑誌も口をつぐんでいる。作画例などもおざなりなものばかりでシビアな各社比較などは見当たらない。ひょっとして性能もあんまりよくないの?と疑問が持ち上と徹底的に疑ってしまう。

もう一つのペンタックスは作例が近くにあって見てみたが、これってレンズの性能あんまり良くないんじゃない?と思った。この小ささだからある程度はしかたないけど、望遠時のレンズ自体の分解能とか明らかに他社に劣る。外観は小さいながらずっしりとしたステンレス製でPentaxの文字が彫りこまれていてコンタックスやライカを思わせる高級感が漂っているところなど、なかなかマニア心をくすぐるが・・。また本売り場に行ってレビューを色々見てみる。やっぱりレンズ良くないみたいである。デジカメは画素数だけが性能の指標にされされがちだがカメラたるものやはりレンズである。レンズといえばSONYはcontax、パナソニックはライカのレンズを使っているそうだが、デジカメのレンズに求めるものは「味」よりも数字的な性能なのでこの際無視。ライカを使っているパナソニックのレビューで「発色」が褒められていたが、フィルムに写し込むわけではないのだから発色を問題にすること自体ナンセンスだと思う。そんな訳で頼りにしていたニコンに裏切られて本売り場とデジカメ売り場を往復しまくった。途中一階のマクドナルドでチーズバーガーセットを食べて再びデジカメ売り場に直行。リサーチした時にCanonのG2が今のところプロカメラマンが認める最高峰(1眼レフデジカメを除いて)とういことは分かっていたので手にとってみるとやはりしっくりくる。しかしこれは高い。300万画素の前世代機のG1でも8万円くらいする。しかもデカい。Canonのコンパクト機はいろいろあって300万画素クラスの主力機は何故かまだなくて(12月に発売だそうだが)400万画素のPowerShotS40という売れ筋のがある。手にとって扱ってみるとモード切り替えもレバー式でシンプルにまとまっている。Canonは馴染みがなく買うつもりがなかったのでレビューもノーチェックだったが本売り場で見たところ、作例もとても良い。しかし79800円は高いな・・。葉書サイズをプリントするには300画素あれば充分だしPCもCeleron360で非力だからあんまり大きなデータは扱いたくないし・・。しかし、結局はトリミングして使うわけだから画素数はデカいにこしたことはないか・・。それにしてもデジカメのファインダーってなんであんなに投げやりにつくってあるだろ。視野率とかけっこう重要な問題だとおもうのだが、仕様にすら書いていないことが多い。液晶を見て写せということなのだろうが、今まで使っていたキャメディアもファインダーがすごぶるいいかげんだった。2万円で文句を言ってはいけないが、シャドー部は潰れるし明るい部分は飛ぶし当然ながら絞りもズームもないし、露出や絞りは全てブラックボックス・・・。ま、それはいいとして。デジカメで撮った画像はデータを好きに加工できるのが魅力な訳で、その加工のもっともよく使うものはトリミングなわけだからやはり少々高くても画素数の多いものを選ぼう。と自分を納得させてやっとの思いでCanon PowerShotS40を買った。ここまでくるのに4時間以上ヨドバシのデジカメ売り場にいた。最後に売り場のオネエサンに「お決まりですか〜〜〜〜〜〜〜」と思いっきり語尾を伸ばしてにっこりと言われてしまった(`口´;)げはっ!。

今日はふたたびヨドバシにいって予備の専用バッテリーを買ってきた。連続で1時間少ししか持たない。これでも近ごろのデジカメの中ではかなりパワフルな方だそうだ。今までのデジカメはバッテリーが単三電池だったのでそれはとても助かった。今日色々とためし撮りして思ったのだが、ホワイトバランスがあったり液晶モニタを見ながら露出を決めたりと、カメラと言いつつも頭をビデオに切り替えた方がいいようである。しかし写真の映りには大満足。4時間迷った甲斐があった・・・。

問題のカメラ。


ホワイトバランス「曇り」で撮った旧道庁赤レンガ


上の写真の屋根の部分をトリミングしたもの。高画素のありがたみとレンズの性能が分かる。満足じゃ。

 

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